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サントラのタイトルとかデザインワークスとか石ノ森版の原作漫画見て思った事。
全部妄言と言うか当てはめ遊びみたいなものです。
エヴァ見てた感覚で見ると最後同キャラ戦にも見えるなという話など。

拍手[1回]


緑川イチローが出てくる場面の音楽が「Oedipus' hole」(オイディプスの巣穴くらいの意味か)だったので、シン仮面ライダーもエディプスコンプレックス的な話として観ていいのか?と思ったので色々。いや作曲の人が付けたタイトルだし庵野の意図ではないかも知れないけど。
イチローの場合は実際に父を殺して父に成り代わるという現代人がやっちゃいけないオイディプスをやってしまっている。エヴァで言うとゲンドウの言うなりで人類補完計画を進めるどころかゲンドウを殺して計画を乗っ取ったシンジくん。
でも母親は死んでしまっているから取り返せない。
(人類補完計画は人類全部がユイだった事にするみたいなめちゃくちゃを叶えるけど、ハビタットの方はどうなんだろう。そこまでの都合良さではなく、生きている人類全体を強制的に肉体を捨てさせ思考を共有させるみたいな話だったような。理解できないままの思考を自動的に共有させられる地獄。全てをツイートさせられ全てのアカウントを読ませられるブロックできないTwitter)
どこかで無理だってわかってるのに計画を進めてるのかなとも思ってたけど、メイキングの最終回見たら庵野はルリ子と最後の対話するまで全然諦めてないって言ってて、反社会的な望みを叶える手段があるというのも残酷だなと思った。
イチローは宗教二世みたいな所もある気がする。父親の願望をそのままアイデンティティにされてしまった。
緑川弘の主導で進めてた計画のために生まれて、計画に問題があるとわかったら180度方向転換して止める側になるぞと振り回されるルリ子の立場もつらい。アイデンティティを作っている暇がない。

エディプスコンプレックスの「母を女性として手に入れようとする」の側面もイチローにあったとしたら、手に入らない母親への執着が最後の肉親のルリ子に向かっていたという見方もある気がする。
いや実際行為としてあったんだとなんかイチローの格が下がっちゃう気がして嫌なので直接的な形ではあって欲しくない……。
「イチロー的には実質的にそういう関係・またはそれ以上の親密さがある関係だった」とかその辺りが落とし所であってほしい。
そうなると「妹と寝たのか?」が「俺のルリ子に手を出したのか?」になるな……。
ルリ子に手を出したくなるのは当たり前だと思ってたのに手を出してなかった本郷に何だこいつみたいに思ってつまんなくなったとかもある?手を出されたくないのに。あっこれだとイチローがめんどくさい奴になる。
逆にルリ子の方でもイチローに恋愛感情かそれに似た感情があった可能性もあるかもしれん。
閉鎖環境下で少しでも愛情(めいたもの)を向けてくれる父と兄を好きだと思い込むしかないという気もする。
突然別作品のネタバレになるけど、真女神転生ifのレイコルートがラスボス狭間の妹のレイコが助けるために狭間の所まで行き、母親代わりになって狭間を救うんだったというのを思い出した。

デザインワークスの初期の設定だとチョウオーグが女性の案もあったから、森山未來がオーディションに来て急いで脚本を変えたって言うのはここなんじゃないかと思う。森山未來出すならラスボスしかない→緑川兄にしようと。
オーディションガチャからSSR森山未來出てきたらメインストーリーに組み込むしかない。
元々は親殺しはあんまり重要視するような要素ではなかったのかな。
古代ギリシア風の衣装案もあったから、どこかの段階で父親殺しの仮面演劇に寄っていったのかも。
緑川姉妹だったらどんなストーリーになってたんだろう。もしかしてルリ子とヒロミの関係が元々はルリ子とその姉のチョウオーグの関係だったとか?

本郷と緑川弘も擬似的に父子だったと思う。
本郷は父親との関係はそれなりに良かったみたいだけど、成長途中で急に父を奪われてしまって親離れの過程を踏めなかったから、緑川弘を父親のように感じていたのではないだろうか。
「僕たち家族」と言ってたからには母親なり兄弟なりいたはずだけど、物語開始時点では死別してるかどうしようもないくらい断絶してるかなのかな。そうでないと本郷の性格的に全く出てこないのは不自然に思う。
人を守れる力を得たはずなのにもう一度目の前で「父」を殺されたから、「父」に最後に託されたSHOCKERを止める、ルリ子を守るという願いのために動くしかなくなってしまったのかなと思った。
弘の代わりにルリ子を守り、弘の代わりにやった事の後始末をして、弘の代わりにイチローを止めた。
ずっと緑川家の父の代理人だから、ヒロインを女として見ない(少なくとも素振りは見せない)本郷に一部の人は安心し、一部の人は去勢されているのではないかと思うほどの違和感を感じたのかも知れない。
身体的な接触は本当の家族同士だけでやった方が良いと思ったから、背中につかまらせたり胸を貸したりしても本郷は抱きしめたりしないという事なのかな。ルリ子を抱きしめるのはイチロー。
本郷は身体接触が苦手なのではないかという疑念を持っているけど、根拠は無い。
本郷に主体性が無かった訳ではなくて、物語中で本当の父親と父親代わりの緑川弘と向き合い直したから、人の心を対話でわかるようになりたいと思えるようになったんではないか。
ルリ子に対して父親代わりだった事も、父親の立場を擬似体験する事が傷を癒す事に繋がったのでは。
ルリ子にスープか何か食べさせるシーンは本郷が自分の命をルリ子に分け与えているようで、初見の時は本郷はルリ子を守って死ぬんだと思って見てた。
エヴァの方から来たから「大人になり他者と対話して生きることに決めたシンジ」対「大人になれないまま全員の心が自動的に共有される世界に変えようとするシンジ」の同キャラ戦のようにも思えた。新劇場版エンド対旧劇場版エンド。
シンエヴァは問題がある父親と直接対話して和解と決別をして外の社会へ出ていくけど、シン仮面ライダーは問題を抱えている自分自身と対話して社会で生きていくための妥協点を探す感じ。ライダーの仮面の他に、対社会のペルソナも身につけようと。
ハビタットは社交のためのペルソナすら否定して、自分を偽らないこと自分を全て開示することを強制する。それより自分と他者とで別々の人格を保ったままなんとか関わりあっていきたい。
一回ちゃんとエヴァを終わらせたからできたストーリーなんだと思う。
本郷の仮面ライダーの体を隠すコートに普通のヘルメットに偽装できるマスクの衣装と、イチローの完全に浮世離れしたスーツの上の衣装も対照的だった。あれは外を歩く格好ではない。巣穴と外界の反転・自分の内界に世界を内包させたいようなイメージ。

それにしてもやっぱり緑川弘が自分でオーグメントになって自分でイチローを殴りにいくべきだった。最高傑作だ、じゃないんだよ。
多分無意識のうちに自分の領分と他者の領分を混同してすごい近い距離感になるタイプで、自分から他人に近づくタイプじゃない本郷の懐にスッと入りこんでしまったんではないか。
平時だったら孤立しがちな本郷にとっては能動的に気づかってくれるありがたい人だったのかもしれない。バイクのサークルに誘うとか。
なんか良い所かあったから市川実和子の人も緑川弘と結婚したんでしょう……かわいい所もあるとか(碇ユイ)……。

一文字は親殺し・親離れ系の事は自力で消化して自分で決着付けてきたんじゃないかと思う。
他者に依存しなくてもやっていける余裕がありそう。少なくとも親子関係系にはわだかまりが無さそう。
人格がぐらぐらのまま育ってきた本郷・ルリ子・イチローの物語の終盤に、人格が強い一文字が出てきたのは救いだったと思う。
チョウオーグのマスクをかち割るのが一文字の頭突きだったのも象徴的な感じがする。
強い人格に異形の強い力を持たされた一文字、人格が強いが故に無茶しそうだけど、2+1号ライダーは優しい本郷が安全装置になってほしい。
あのエンディング好きだし、石ノ森版の漫画読んだらけっこう原作の展開に沿ってるんだなと思ったけど、でもあの終わり方は見ようによっては、せっかく人と関わって生きられるようになりたいと思えるようになった本郷が、既に自立した人格を作れた一文字の一部になってしまった感じもあって、あんまり本郷の精神衛生に良くない気がする。
もし続編があるなら、なるべく早く本郷が一文字と別行動できるようにもしてあげてほしい。
もう父親的なものへのコンプレックスとかで苦しまなくていいから、心の自立と安定を得てほしい。
ルリ子と幸せになってくれたらいいよね〜という気持ちの一方で、いや安易にそれやってしまうとルリ子が擬似親子系から出られなくなって良くないのでは……?という気持ちもある。ルリ子ももう苦しまなくていい……。
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