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- 母性が分散してるなと思った。回想だけの実母、群れのばあさんたちからの少しずつの気遣い、(多分)母にならなかったキリコさんの庇護、ヒミさまの暴力込みの支援。
- お母さんの母親以外の面、これから母になるナツコの母親になれない気持ちとかも色々。今まで他の作品であんまり描かれてなかった気がする。
- ナツコから見たら、まひとは夫の前の女の影がちらつく連れ子だが、同時に亡くした姉の面影を持った甥っ子でもあることが明かされ、程度はわからないけど夫も姉も本当に好きだからまひとと接するのが辛いんだろうなと思った。
- じいさんの構築世界の無力さ(≒駿が思う創作世界の限界?)。塔の中でも成長はあるけど、アオサギとかとの関わりが必要だったのであって塔自体の力(想像の中でひとり遊びする事?)自体で成長するわけではない。
- その無力な世界を維持するために冷や汗を流すじいさん、じいさんを助けたいのに短慮からぶち壊すマッチョなインコの王様(こいつだってじいさんの想像から生まれたようなものか)。哀れでもある。塔とじいさんはジブリと駿なのか?とか考えてしまう。
- そんなもの見せられても、まひとに必要なのは継承でも促成栽培でもなく、自分を構築することと現実で人間関係を構築することなのでね。目的を遂げたら帰ります。
- ファンタジーの功罪みたいなものを考えたんだろうか。
- そう思うと、最初にアオサギが入った塔の中が見たくて入ろうとした時は、学校にも家にも馴染めなくて逃避のために他者の内面世界に入って行こうとしたとも読める。その場合は入ったらじじいの世界構築に良いように取り込まれたんじゃないかと思う。ナツコも現実からファンタジーに逃れていったとも言えそう。
- 「自分の血を分けた者に継がせなければならない」はじじいのファンタジーだろう。Gファンタジー
- 2回目はナツコを連れ戻すという目的が(少なくとも名目上)ある。果てしない物語みたいな、現実から逃れたい子が別世界に偶然行けるのとは違う。
- 「君たちはどう生きるか」の本は、現実に戻るためのアンカーだったのではないか。現実をまひとがどう生きるかのためのアンカーをお母さんは遺したのか。その本を読んでから塔に入ったから、目的を遂げ誘惑に乗らず自分の落ち度を認めて外に出られた。
- 読んでないからどういう本なのかわからないが……。
- お母さんはまひとが「君たち」を咀嚼できるまで生きられない予感があって、生活の場の東京ではなく安全な実家に本を保管したのかも。長期入院だったようだし。
- 棺をかつぐインコの従者たちが「楽園だぁ…」とか言ってたの、ナウシカでクシャナの兄たちが前文明の楽器と楽譜見つけたシーン思い出して哀れだった。インコと熱帯植物のための温室を作っていたのだろう。じいさんの想定する本当に大事な場所ではないし、野生のセキセイは楽な日ばかりではあるまい……。
- モネの睡蓮とかジョルジョ・デ・キリコとか、元ネタありそうな画面がちらほらあった気がする。これも塔の主が持ち込んだイメージか。
- 最後終戦を飛ばさずに主人公がつらい目にあえば「正しい」エンディングだろうけど、別にそうなって面白いわけじゃないし現実のつらさを見せつけるための作品でもなかろうし、これでいいなと思った。
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